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失敗できる場所

幸福のため、一つ一つ感情を捨てていく

生きる理由を知らない。生きない理由なら揃っている。それでも生きることを諦めずにいられるのは、明日は今日より良くなるはずだという50年代的楽観が胸にあるからかもしれない。世界や社会がどんどん沈んでいってしまうとしても、自分だけは。

世界も社会も自分で動かすのは難しいけど、自分の幸福を判断するのはこの身ひとつでできることだった。苦しいときは、苦しいと思う感性を焼き切ってしまえばいいい。そして生活の良いところだけを見ていればいい。それだけを追っている限り今日の幸せと明日の幸せは担保される。最近何か悲しいことが起きた気がするけど、それに抱く感情がもう残ってなかった。

 

これは少し残念なことかもしれないな。書いてる瞬間に突然思いついたことなのだけど。一旦は抱いたはずの感情を忘却して、記憶からも薄れさせてしまった先に手にする幸福は、諸手を挙げて喜んでいいものではない気もする。

だからといって、問答に足を取られて今まで来た道を引き返すつもりも毛頭ないけど。今の自分にとって生きる理由に唯一近しい存在が、明日への期待だった。人生の意味から逃げたい。当座の満足へと逃げ込みたい。やっと勝ち取ったささやかな幸福を守るためには、不要な感情を忘れ続け、歪だとしてもこの身を欠けさせるしかなかった。