17℃

失敗できる場所

5/5~5/10(2020)

 5月5日

今日は……何をしていたんだろう。蒸し暑い日。

昼。日本史の本と人類学の本を読んだ。

日本史、きまじめに旧石器時代から読んでたら全然盛り上がらない。

人類学、まだ序盤だけど面白そう。アフリカや中国の、インフォーマルセクターと呼ばれる(しばしば非合法の)経済活動で日銭を稼ぎ生きる人達の話。常に未来志向を迫られ続ける日本にあって、今日のために働き今日を生きている世界のことを考えるのは、新たな苦しみを生んでしまうとしても大事なことだと思う。

 

夜。友達とNetflixで「ノーカントリー No Country For Old Men」を観る。友達と、と言っても、チャットしながら観てただけだけどね。年老いた保安官が、麻薬取引に関わる殺し屋が起こす殺戮事件を追う話。友達に薦められるがままあらすじを知らずに観たから、受け身を取れないままスリラーな展開に晒されてしまった。

友達は監督のコーエン兄弟を”文学的な監督”と評していたが、なるほどその通り、時間が進むにつれて見る側に理解を委ねる間接的な描写が増えていった。映画なのに空白が多い。話を追うのに神経を張り詰めさせてるから、どんな凄惨なことが起こっても心を動かす暇がなかった。全く新しい映画体験。でも友達と一緒じゃなかったら観るのは勘弁してほしい。

ノーカントリー (字幕版)

 

5月6日

ノーカントリー、一日経ってもまだ心を支配してくる。

地震。雨、雷。

 

いろんな人がライブをやったり音源を公開する日だったので、ずっと音楽を聴いていた。女王蜂、ずっと真夜中でいいのに。、tofubeats、DAOKO。一曲ごとに感情が作り変えられていく。後退したり亢進したり。ちょっと外部のものに感情を乗っ取られ過ぎかもしれない。本の一冊ごとに、あるいは映画一本ごとに感情を揺さぶられるというならいいかもしれないけど、音楽の一曲ごとだったらテンポがよすぎてしまう。

 

 我を乱されずにいるには体を動かすのがいいって気づいた。走ってみたり筋トレしたり。僕は体育の授業中に気絶するほど虚弱なので…と、卑屈なプライドを振りかざして運動することを拒んできた半生だったけど、危機下のあまりにも膨大な暇を機にランニングだとか筋トレを始めてみたら、いまの悩みも自然と棚上げされてなかなかいい気分になった。運動すなわちスマホのメモリクリーナーって感じだ。余分なところだけがうまくさらわれていく。

音楽に乗っ取られすぎないようにするのにも、だから運動を持ち出したいところだったけど、今日はあいにく深夜まで雨が降り続くらしかった。また明日だな。筋トレしようにも家ではする場所がないし。

 

5月7日

久しぶりに陽光を浴びた。まだ揃ってない大学の教科書を買いに本屋へ行ったが、本屋に教科書はなかった。ウェブサイトには在庫有りって書いてあったんだけどな。

お出かけしたら頭が痛くなってきてずっとamazarashiをかけて歩いた。日光を浴びたから頭痛がするのか、頭痛がしたからamazarashiを聴くのか、amazarashiを聴いたから日光を浴びるのか?? とか考えていた。

 

堅実に書き続けられるようになるのが最近の望み。たまに立ち現れてくる詩情を絞り切るようにして、1年に何回かだけ望むような言葉を生むより、そこそこの出来でいいからコンスタントに書き続けていたい。詩情の表れを待たずこちらから迎えに行くという常在戦場の気持ちがあれば、できそうな気がする。

 

5月8日

今日はバイトに行った。今月最初にして最後の勤務。働いている喫茶店は、利用時間制限を始めたからか過去イチでお客さんが少なかった。あんまり暇なのも疲れる。

 

夜はイエメン料理(とネットで呼ばれていた料理)を作りました。トマト使ってたし、スパイス使ってなかったし、イエメンよりイタリアと言われたほうがむしろ納得してしまうような味だったな。こうも消化不良になると、スパイスをガンガンに使うバチバチのイエメン料理を作りたくなるな。イエメンにはなんの縁もないけれども。

なんとなくおいしそうな知らない国の料理を作ると、暮らしに張り合いが出ていいです。クックパッドとかのおいしそうなレシピは結局家庭的な発想の範疇を超えないので、何を作ったってそんなに驚きが生まれない。それに対して、あまり馴染みのない国のレシピだと、自分の料理センスを突き抜けた食材の組み合わせを強いられるのでどうしたって新鮮な味になる。肉じゃがやハンバーグで失敗したら自責の念に駆られるけど、前例のない料理だったらそれを言い訳に強気でいられるしね。

 

宇多田ヒカルの”time”の発売日でした。もう二度と会わないかもしれない、過去の人のことを思い起こしながら聴いています。最近の宇多田ヒカルは、一つの人間存在への莫大な愛情を描きがちな気がする。それが心に突き刺さります。

 

5月9日

夜がなtimeを聴いていたら、そのうち鳥のさえずりも混じって聞こえるようになってきた。新曲で徹夜してしまいました。冷静になったときにはもう空が白みだしていて、睡眠を諦めて川を散歩した。夏至にはまだ早いけれど、既に4時のうちから上ってくる朝日の姿が分かった。肌寒かったはずですが、こういう徹夜明けでは体がぽうっとしているのでよくわからなかった。

 

昼。まもなく始まる大学の授業の予習をしていた。言わずもがな眠気に耐えられない。昼下がり。家を出る。恋人に電話する。声を聞くたびに、彼女が恋人であるということに対して夢幻の感覚が強まってしまうな。もっと自分を強く持ったほうがいいのだろうけど。

 

5月10日

起きた瞬間頭の中にtimeが流れていた。きっと夢の中でも聴いてたんだろうな。あとは、友達と「ライフ・オブ・ブライアン」を観た。キリストが生きていた頃のローマ帝国を舞台にしたイギリスのコメディ映画。

 

あしたからようやく始まる授業の準備をした一日。受験終了から始まったこの長い休暇、最初こそ英字新聞を定期的に買ったり毎日凝った料理を作ったりと精力的に動いていたけど、最後の方は何をしていたんだかわからないな。こんなに時間があったのに積ん読は減らなかった。