17℃

失敗できる場所

思わせぶりな態度を取りながら、なんでもない友達でしかないように振る舞う自分が情けない。未だにあなたを名前で呼べない。
生きたくって死にたくって、ピチカート・ファイヴの「東京は夜の七時」を帰り道に聴いていた。93年くらいにできた楽曲で、バブルの終わりに気づいていないかのような一途な明るさと、そこにわずかに落ちている影との混合が好き。歌に合わせて夜道を闊歩して、今日のことなんて全部忘れてしまえそうだったけど、結局忘れられるわけがなかった。煮え切らない自分と、あたたかな思い出。明日こそ、自分の気持ちに正直になる1日にするんだ。そう思って、昨日までも今日からも生きていく。残された時間はあと少しだってこと、全く実感できていない。


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KADA-DERO雑感

ライブって、行ったら死にたくなるものだと思っていた。あこがれの人の歌声を目前で聴いて、もう人生これ以上望むものはないなって、幸せで、それでいてどこか投げやりな気持ちになるものだと思っていた。事実、今まで行ったライブでは、どれでもそんな気分になった。

でも、KANA-DEROは違った。この上ない幸せを感じたうえで、もっともっと生きなくてはいけないという固い決心をともに抱いた。それは活動開始間もない頃からずっと追いかけてきた楓さんが、「ここでやれるなら引退してもいい」と思っていたZepp Osaka Baysideで初ライブを盛り上げる姿を見たから。ライブ開催という人気のさなかにすら樋口楓の終わりを覚悟し、それでも「みんな一緒に前に進もう!!」と言ってくれたから。

もっと彼女を追いかけていきたい。そのために自分は、生きていかなきゃいけない。そう気持ちが定まって、今まで頭を悩ませていた事柄がさっぱりと消えてしまった。こんな純粋な多幸感に包まれているのは、もしかするとほんの一瞬のことなのかもしれない。でもこの一瞬を与えてくれたということだけで、もう十分満足だ。この1年に食らいつけたのは楓さんをはじめとするにじさんじの面々がいてくれたからで、この先だってきっとそうなる。

 

https://event.nijisanji.app/kanadero/

 

あしたはカラオケ

181124

気づいたらもう半年もカラオケに行っていなかった。自分にあろうことか。

前に行ったときの日取りから離れるほど、カラオケ店に入るハードルは上がってしまった気がする。それはたぶん、歌わなければいけない曲が日に日に増えていったからだろう。

自分はただ歌うためだけではなく、歌うことでその曲のことをもっとよく分かりたいからカラオケに行く。ふだんは雰囲気だけで、メロディとか歌詞の断片だけに耳を傾けて聴いている曲たちは、カラオケボックスで自分自身の口で歌にすることで、ようやく少しずつ全体像をつかめるようになってくる。歌詞と歌詞とのつながりが分かって、選ばれた一つ一つの言葉の意味もなんとなく感じられるようになる。自分は音楽だけではなく、文章だってなんだって、消化するのにえらく時間がかかる性分だから、面倒だけれどもこうして工程を踏んで向き合っていかなきゃいけないんだと思う。

それなのに、半年もの間カラオケをお休みしてしまったから、自分はきちんと消化したいたくさんの歌を抱えることになってしまった。その果てしなさがカラオケの門を叩くのを億劫にして、そのことがあしたの自分をますますカラオケから遠ざけた。

それじゃいけない。音楽をもっと楽しみたい思いは変わってないのに、自分でそれを腐らせるわけにはいかない。だから明日はカラオケに行く。久しぶりのことだから気持ちがはやって、セットリストを作っておきたくなってしまう。

181022 母の放漫

ふだんは柔和な人柄である父の、怒号が毎日飛び交っている。母親の1ヶ月間のクレジットカード利用額が、40万にも達したのだという。いったい何を買ってこの大金が使われたのかは、家がぐちゃぐちゃすぎて分からない。この多額を問いだたした父に、母親は「これから働いていこうと思ってるよ」と答えた。噛み合わない。ここ何年と繰り返されてきた会話だ。もう使わない、これからは働く、というのが全く根拠のない母親の常套句で、これに父が言い返しもしないというのは母への一切の期待の無さのある意味での表れでないかと思う。どんな理性や論理で立ち向かおうとも、自分にはあの人に勝てるような気はしない。

 

母親の瑕疵を追っていると、あの人だけが父へのフリーライダーかのような錯覚を持ってしまうけど、自分だって同種の人間なのだということは忘れずにいたい。母親がいなかろうがもともとそう余裕のない家庭で、自分は私学にも予備校にも通わせてもらっている。予備校なんて、つい先月入ったばっかりで、現状のような話が明るみに出るのが前後して入学しないでいれば、今頃せめてもう少し楽な状況にあったのではないかと思うと本当に苦しい。問題の根源は母親なんだと理解していても、苦しい。

 

このように金銭感覚に甘くて、ほとんどの家事を行わず、それなのに母父子の3人が紐帯で結ばれた”家族”であるという幻想を持ち続けている母親のことが、とにかく恐ろしい。その客観視の無さが怖く、その血を引き継いでしまった自分も、多かれ少なかれ母であるということが怖い。自然に適切に、あの人の影響から逃れることができたらいいなと今は思っている。拒否するだけでは、結局自分をあの人の対立項として位置づけていることになってしまうし、無視や抹消は、空白を生んで母の存在をより際立たせるだけだから。

180930 母

何のきっかけもなく心が暗転する。区民ホールに行ってオーケストラの演奏を聴いて、あんなに浮き立っていたさっきまでが同じ自分とは思えない。
このままずっと、母親に抗えないでやっていくのだ。分かり合おうと挑むたび、その考えの甘さを思い知らされる。どんな配慮も遠慮も、あの人は当然のように受け取ってさらに多くをこちらに求める。抗ったって、論理のない理不尽が暴発していっそう苦しめられるだけだ。仰せのままに生きるしかない。
鹿の角が毎年生え変わるみたいに、抵抗の牙も一定の期間ごとに抜けつ生えつつを繰り返しているんだと思う。ちょうど今は、母という存在の異様さを冷静にわかっていて、何とかこの隷属から抜け出さんとする意志を保てている時期だ。試みて、試みて、挫けてしまった何度目かに、きっとこの牙はまた抜け落ちる。牙を抜かれて、へつらう以外を忘れる時が来る。かろうじて今、胸の内に残っている反逆心も、そろそろ断頭台の前だ。この町のこの家に、隅から隅まで希望はない。

お金ない自慢18年9月

下半期、圧倒的にお金が足りない。行くあてもないのに衝動で電車に乗っちゃったりするのが常な上バイト禁止の学校に通っているからいつも会計はカツカツなんだけど、年末にかけてはイベント事がたくさん待ち構えているからなおさら厳しくなってくる。まず、確定事項としてamazarashiと椎名林檎のライブを取っている(amazarashiのチケット代はもう払った)。さらに宇多田ヒカルのライブも申し込んでいるから、もしかするとこれも加わるかもしれない。まあ一般応募だからたぶん当たらないけど。他にも、バーチャルYouTuberオタクをやっているので、それのイベントにも参加していく意向がある。今週はよみうりランドとのコラボがあるから行くつもりだ。
こんな感じで、12月にかけて、ライブで1.5万円支出があるのが決まり、宇多田ヒカルに当たればもう1万、Vtuberのぶんであと5千円は見ておきたいところ。一方収入は、お小遣い3ヶ月分から経費を引いて1万円ちょっと残るかというくらい。全くもって希望がない。少しは自制しないといけないんだろうが、何にせよ予約してしまったライブの分は絶対に揃えないといけない。

年末にかけて、お金のかかるいろんなことが待っている。
・11月、amazarashiと椎名林檎のライブに参加する予定である。
宇多田ヒカルのライブもひょっとして当たるかもしれない。
・修学旅行の自由時間、きっと食べ歩きとかをするだろう。
バーチャルYouTuberのイベントにも参加したい。

全部合わせて3万円はほしい。少なくとも、すでに取ったライブ代で1.5万円は必須。でも収入はお小遣い-経費の1万円しかない。バイトは校則で出来ない。
すると、なんとか収入を増やすしかない。たぶん借金するのが一番手っ取り早い。でも親からは家計的に無理だし、友達だと関係がややこしくなる。銀行から借りるのは一つの手だ。自分はゆうちょに口座を持ってるけど、なぜか残高以上にお金を引き下ろすことができる。未成年なのに。昔ググったところ1万円が上限だったと思う。もちろん利息は付くけど記憶によればせいぜい数円で、ほんとうに切羽詰まったらこの手を切りたい。
ただそうやすやすと借金に頼ってしまうと金銭感覚が狂ってくるので、とりあえずあがけるところまであがくつもりだ。それで近頃は小遣い稼ぎのサイトに手を出しまくっている。メジャーなアンケートサイトとか、無難なものは前からやってたんだけど、この危機を機にマイナーなサービスにも手を出してみている。大勢は、分給1円とかの辛いものばっかりだけれど、1つだけ高笑いしたくなるくらい得するサービスがあった。買い物レシートの写真を撮って送信するサービスだ。一定期間に1枚でもレシートを送れば定額の報酬がもらえる仕組みになっているので、激安の買い物をすればキャッシュバック率100%超えも実現できてしまうらしかった。そうと気づいてから数十円の買い物を定期的に繰り返していたんだけど、その報酬が振り込まれるのは3ヶ月後らしくとにかく手遅れだった。ライブまでにほしいんだ……
そんな感じでお金のことを考えてばっかりだ。服とか電子辞書とか、足りないものに頭を回しだすときりがないけど、それよりも先に自分は自分の欲望を追いかけていかないといけない。とにかく取りこぼしたくない、今の望みは今にしか叶わないものばかりだから。

180920 ゆがみの自己認知

雨はそれなりにしっかりと、靴底を濡らすくらいには降っていた。自分は9月の頭から悩まされ続けていた頭痛からやっと解放されて幸せだったから、川に歩いていった。水面はほんのり高くて、流れはずいぶん速かった。丸の内サディスティックのラ行をことごとく巻き舌で歌いながら、河川敷から水の方に進んだ。雨は強くなって毎秒毎秒頭皮を濡らすけど、傘はささない。勢いのある流れの上に手のひらを広げて重ねたら、テンションが最高潮に達してしまった。息をあらげて、次には冷静になって回りを見渡すと、同年代はおろか老人の一人だってきょうの川にはいない。今までの行動に途端に自信がなくなって、急いで傘を開きながら、我を貫けないこういうところは一等自分を悲しいものにするなあ、と思った。